【パーソナル健康学】No.362 (2015.8.18)
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FROM おのころ心平
おはようございます。
おのころ心平です。
私たちの生活は、
「病気か健康か」
という「0」か「1」の
二者択一のデジタル思考に
慣らされるようになって、
その間(あいだ)への
関心が薄くなってしまいました。
「0」と「1」の間には、
無限の小数点以下があります。
実際、私たちはその小数点以下を
それぞれの個性として生きています。
この世のすべては、
その小数点以下を探すための
「ああ、だから自分は自分である」
と認識する手段でしかないと
僕は思うのです。
※ ※ ※
比較、相対、認識というのは、
肉体を持って生まれてきて
初めて生じるものです。
皆が皆、
ちょっとした外見の差を持って
生まれてくるということ自体が、
違いを認識するためであることを
証明していますね。
逆に言えば、
自分は何者かを知ることが、
やっぱりこの世に生まれてくる
最大の目的だろうと思います。
そう考えると、
自分の身の回りにいる人の見方も
変わってくると思いませんか?
すべては自分を認識するために
存在するもの。
※ ※ ※
たとえば、
世界中旅行できる時代だからといって、
すべての国に住めるわけではありませんし、
世界人口が
70億人を突破したからといって、
人生でいったいどれくらいの人と
知り合いになれるでしょうか。
人生で出逢う人には限りがあります。
だから今、
身の回りにいる人というのは、
見えないご縁で結ばれているとしか
考えようがないです。
つまり、目の前にいる人を鏡にして
自分自身に気づくことを、
人生を通じて私たちはしているわけです。
※ ※ ※
病気は気づきだ、
という言い方があります。
あるいは人生に困難が生じた時、
「これは神さまからのメッセージだ」
という言い方があります。
字面だけ聞くと、「そうは言うけど・・・」
という気持ちにもなりますが、
これを本気で感じたとき、
ほんとうに人生は好転を始めます。
世間一般と離れた状態に置かれて、
世界と自分の差を認識する。
そこで初めて見えてくること。
語呂合わせではないですが、
悟り(サトリ)とは、
自分を認識することで、
その差を取る(サトル)
ことであるように思うのです。
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◎編集後記
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比べるものがあって初めて、
「今日は体調が良い」と感じたり
「私はこれが得意ー!」と言えたり
「あの人が今日は優しい♪」と思えたり
いろいろな発見があるんでしょうね。
これからしばらく、周りの人たちとの
差を取ってみようと思いますw
ー 剱悠子
PS
かと言って、今の世の中、
周りの人と自分を比べることで
ストレスに感じてしまう方も
少なくありません。
ストレスを
コントロールする方法について
こちらを参考にされると良いです。
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