kawashima

FROM 川嶋朗

1995年4月19日の朝、
目が覚めると右の耳が聞こえなくなっていました。

耳の奥に何かが詰まっているような
感じで、花粉症のせいで中耳炎にでも
かかったかなと思いました。

そのうちに治るだろうと、
しばらく放っておいたのです。

でも病気は思ったほど軽くはありませんでした。

3-4日後に耳鼻科の診察を受けると、
突発性難聴と診断されました。

突発性難聴は原因不明の病気で、
治癒するかどうかは発症してからの
時間が勝負といわれています。

私が診察を受けたのが遅すぎたのでしょう。

治療はしましたが、結局、治りませんでした。

診断を受けてから1ヶ月ほどたったころ、
病院の廊下で耳鼻科の教授とすれ違うと

「調子はどうですか」

と尋ねられました。

「変わりません」

と答えると、その教授は
ごく自然にこう言ったのです。

「それならもう治りませんから、
 あきらめてください」

きついことを平気で言うな、と思いました。

私は医者ですから冷静にその言葉を
受け止められますし、鍼や漢方の知識が
あるからまだ希望がもてます。

それでも37歳の若さで

「もう治らない」

と言われたときはさすがに

「半生この耳で暮らさなくてはならないのか」

と落ち込みました。

それに、どうして「もう治らない」と
断言してしまうのか、という反発もありました。

耳が治らないのはおそらくその時点の
西洋医学では事実だったのでしょう。

でも、この先もそうだとは限りません。

世界には西洋医学の研究に
日々邁進する優秀な医師や研究者が
たくさんいますから、何が起きるかは
わからないのです。

明日になれば、どんな突発性難聴も
直してしまう治療法が発見される
ことだってありうるかもしれません。

医者は簡単に「治らない」なんて
断言すべきではない、私はそう確信しました。

患者さんは専門の医者にかかる以外、
耳を治す手段をもちません。

その医者から「もう治らない」という
事実だけ突きつけられたら、きっと
絶望するはずです。

突発性難聴という病気をきっかけに、私は

「患者さんを絶望させたくない。
 どうしたら患者さんに希望を
 もってもらえるだろう」

と真剣に考えるようになりました。

そして東洋医学をはじめとする
代替医療が今の医療で果たすべき
役割の大きさを認識したのです。

西洋医学以外に治療の選択肢があれば、
患者さんはそれにかけてみようと
思うのではないでしょうか。

それ以来、私は

「医者としての引き出しをできるだけ
 たくさん用意することで患者さんの
 選択肢を広げてあげたい」

という思いから東洋医学はもちろん、
ありとあらゆる代替医療の勉強に取り組みました。

それが今の統合医療のベースとなっています。

そしてもう1つ、突発性難聴は
大きな意味をもっています。

「どんなに力をもった人にも
 私の耳を治すことはできない」
という事実は、この世に神様は
存在しないことを教えてくれました。

だから「どんな病気も治せる」という
人が目の前に現れたときには、

「それなら私の耳を治してみてください」
と言うことにしています。

自分が勘違いしていることに気づき、
考えを改めてほしいのです。

この先も私の耳が治ることはないと思います。

突発性難聴は

「その耳で世の中の善悪を測りなさい」

というメッセージではないか、
と考えています。

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◎編集後記
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世の中には、治る病気より
治らない(と言われる)病気のほうが
多いような気がします。

病院に行っても、原因さえ「分からない」
と言われることだってありますしね。

治る治らないにかかわらず、
病気になったことで感じたり、
気づくこともあるでしょうし、

それを川嶋先生のように
メッセージと受け取れると
その後の生き方に今までとは違う意味を
もつこともできるでしょうね。

ー 剱 悠子

PS
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