FROM 川嶋朗
「心の無理」のほとんどは
自分で勝手に作り出した妄想のしわざです。
ほとんどの場合
悩みは何か1つのことや、
ある考え方にこだわりつづけるために
生じることが多いのです。
何かの考え方や物事、あるいは特定の人に
こだわりを強く持っていると、
行き詰まったり、不愉快な結果が
生じやすくなってしまいます。
冷静によくよく考えれば
たいしたことではないのに、
ありもしない妄想がふくらむから
心に無理を強いてしまうのです。
そうしたネガティブな感情は
自分の心が勝手につくり出したものだ
ということがわかれば、
心のわだかまりが消えていきます。
ほんのささいなことでも、大げさに考えれば
本当に大ごとになってしまうものです。
周りの人のささいな言動を、
いちいち大げさに考えて
ストレスを募らせていったら、
心も体ももちません。
実際、そのためにがんになった女性もいます。
頭を冷やして、大げさに考えないことです。
フランスの哲学者「アラン」は、
『幸福論』の冒頭でこういっています。
不幸には「ほんものの不幸」と
「不幸だと自分で思っている不幸」の2つがあり、
「ほんものの不幸」というのは
愛する人が亡くなるとか、
不治の病で死を宣告されるとか、
どうすることもできない不幸のこと。
もう1つの
「不幸だと思っている不幸」のほうは、
いわば思い込みの不幸で、
本当はたいしたことではないのに、
妄想をふくらませて、
自分で勝手にどんどん不幸を育て、
そのあげくに、なんて自分は不幸なんだと
自分で思ってしまうことだといっています。
アランがいっているように
恨みや悲しみは、自分の心が
勝手につくり出したものであることが
ほとんどです。
前述のがんになった女性は
このことにようやく気がつきました。
腫瘍マーカーの数値が上がっている
といっていた彼女ですが、
それからというもの
化学療法がうそみたいに効いてきました。
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◎編集後記
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起こった出来事だけをみれば
不幸でもなんでもないことでも、
自分の感情や思い込みを含めた
視点で受け止めてしまうと、
「不幸だと思っている不幸」に
変わるんでしょうね。
心や体に無理が生まれないように、
物事を見る視点をどれだけ増やせるか、
少しでも意識できるようになるかが
ポイントになりそうですね。
ー 剱 悠子