FROM 帯津良一
元号が「平成」から「令和」になりました。
「令和」と聞いて、『荘子(そうじ)』という
中国の古典の中の一節を思い浮かべました。
「導気令和 引体令柔
(どうきれいわ いんたいれいじゅう)」
「気」と呼ばれる宇宙のエネルギーを
からだの中に取り入れて調和させ、
筋肉を伸ばして関節を緩め
からだを柔らかくすることが大切だと、
この古典の著者である
荘子は言っているのです。
この8文字から「導引(どういん)」
という言葉ができました。
気功をやっている人にとっては、
「令和」というのは身近で親しみのある言葉です。
だから、新元号が「令和」となると
聞いてうれしくなったのです。
ところが、官房長官の話だと、
『万葉集』からとったのだということ。
ちょっと拍子抜けの感があったというのが
正直なところです。
『万葉集』のことはよくわかりませんが、
「令和」という言葉からは、
平和で調和のとれた社会にしよう
という意志が感じられます。
いい時代になることを願いたいと思います。
これで私は「昭和」「平成」「令和」
という3つの時代を生きることになりました。
私が生まれたのは昭和11年。
太平洋戦争が始まる前でした。
昭和も戦前、戦中、戦後を生きました。
八十数年を振り返ると、
昭和30年代前半が最高に活気のあった時代でした。
当時、私は医学部の学生。
夏目漱石が大好きで、
『三四郎』の主人公・小川三四郎にあこがれ、
小説の舞台となった
本郷界隈を歩き回っていました。
戦争が終わって10年と少し。
敗戦の傷跡もなくなり、
人々は未来に向かって
輝かしい希望をもって生きていました。
社会全体がキラキラ輝いていました。
昭和も40年代、50年代と進むと、
あの高度経済成長時代です。
30年代に少年、青年、壮年だった人たちががんばって、
日本を大いに発展・繁栄させました。
希望が現実となった感慨がありました。
黄金の30年代から半世紀以上が過ぎました。
希望をもってがんばってきた人たちも、
今では70代、80代、90代になっています。
世の中は大きく変化しました。
残念ながら、あのころの輝きは
すっかり消えてしまいました。
輝きがなくなったどころか、
徐々に闇が広がってきているように感じます。
地球の場のエネルギーがどんどん
低下しているとしか思えません。
災害はひっきりなしです。
大きな地震、集中豪雨、さまざまな異常気象。
世界中で起こる紛争。
それに悲惨な事件や事故。
昔はこんなではなかったと思います。
どうすればいいのか?
地球規模の問題ですから、
私一人があがいたところで
どうにもならないことはよくわかっています。
しかし、何かやらないといけない。
そんな思いをずっともってきました。
「かつて輝ける未来を作ろうと
希望をもって生きてきた人が、もう一度、
あのときの胸の高まりを思い出して行動すれば、
何とかなるのではないか」
そんな思いが湧き上がってきました。
私も含めて、70代80代90代になった人たちが、
あとはつつがなく静かに
この世とおさらばすればいいと
消極的になるのではなく、
「もうひと勝負」してみるということです。
年はとっても、いや年をとって
たくさんの経験を積み重ねてきたからこそ、
地球の場に大きな影響を
与えることができるのではないか、
と私は思っています。
苦しい時代、明るい時代、
喜びもかなしみも知っている強みを
生かせるはずです。
最後の大仕事です。
生きること、老いること、病むこと、
死ぬことを真剣に考え、
若い人たちのお手本になるような
「生・老・病・死」を具現化して、
あの世に旅立っていく。
それが結果的には、
地球の場を高めることにつながります。
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◎編集後記
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本日から帯津先生のメルマガが
スタートしました。
素晴らしい出会いに感謝しつつ、
私ももうひと勝負、ふた勝負…
情熱を持って
頑張っていきたいと思いました!
―三浦とも子