FROM 帯津良一 遼寧(りょうねい)省の内陸に育った李岩先生が、 突然海を見たいと言う。 私としてもとくに当てがないので、 新幹線に乗って小田原の海岸に行ってみた。 「これが海です……」 「……これが海か……」 左右を [...]

FROM 帯津良一 開院するにあたって、 かねてより漢方薬に熱心な医局の後輩にして 高野征夫さんの同級生である小原恵さんに 週1回の外来担当をお願いした。 さらに縁ありて、 これまた漢方薬に造詣(ぞうけい)が深い、 埼玉 [...]

FROM 帯津良一 三役にそれぞれ適任を得て いよいよ開院だ。 忘れもしない1982年11月1日。 雨のなかの開院式だ。 大勢の方が来てくださったが、 その一部始終については ほとんど憶えてはいない。 いまでも鮮やかに思 [...]

FROM 帯津良一 帰国するや否や、 買い求めてきた気功の本を 片端(かたはし)から読んでいった。 中国語の素養はないが 漢字だから意味は通じる。 簡略文字もすぐになれた。 イラストが豊富なのもいい。 そしてわかったこと [...]

FROM 帯津良一 まずは病院運営の要である 副院長、事務長、総師長の人選に入る。 まだ46歳。 ちゃきちゃきの外科医である。 中西医結合といっても 軸足は西洋医学のなかにある。 食道がんの手術も これまでどおりやってい [...]

FROM 帯津良一 後年、初めての内モンゴル自治区 ホロンバイル盟のハイラル市。 これまた初めての大草原行きの朝、 同行する盟立(めいりつ)病院のスタッフが ホテルの私の部屋に集まる。 どうやら小雨の上がるのを待って出か [...]

FROM 帯津良一 前半の北京見学と後半の上海見学の間の 3日間を利用して抗州(こうしゅう)へ。 抗州といえば西湖(せいこ)。 西湖といえば中国きっての名勝の地であるが、 内外の観光客も、まだきわめて少なく、 それは静か [...]

FROM 帯津良一 鍼灸については同じ治療医学でも 漢方薬と異なって がん治療の一翼を担っているわけではなく、 李岩先生にあたるような 立場の人を紹介されることはなかった。 だからこの訪中における鍼灸の収穫は皆無であった [...]

FROM 帯津良一 気功という言葉はすでに知っていた。 わが国における気功の草分け的な存在としての 津村喬さんと星野稔さんのお名前も記憶していた。 しかし、実際の気功を目にしたことはなかった。 「…その気功を見学すること [...]

FROM 帯津良一 北京空港には北京市立がんセンターの 放射線科医師の張益英先生と 謝玉泉先生が出迎えてくれた。 その足で北京での宿舎となる北京飯店に。 長安街の道路は自転車であふれ、 自動車のクラクションが喧(かまびす [...]