FROM 帯津良一
まずは病院運営の要である
副院長、事務長、総師長の人選に入る。
まだ46歳。
ちゃきちゃきの外科医である。
中西医結合といっても
軸足は西洋医学のなかにある。
食道がんの手術も
これまでどおりやっていくつもりだ。
手術は一人ではできない。
3人では多過ぎる。
二人がちょうどよいのだ。
だから優秀な相棒が一人いればよいのだ。
これはすんなり決まった。
かねてから
帯津先生が一旗揚げるときは
かならず馳せ参じます
と常常言っていた後輩に話したら、
あっさりと引き受けてくれたのである。
高野征夫。
1945年生まれ。東京大学卒。
私の所属していた東京大学第3外科に、
私が医局長を務めている時に入局。
医局長と新人という関係は
特別な親近感をかもし出すうえに
麻雀競馬というギャンブルの趣味が
ぴたりと一致したことも
副院長就任の快諾に
与(あずか)ったものと思われる。
もちろん外科医としての資質も申し分なく、
百万の味方を得たような気持ちになったものである。
事務長さんについてはとくに腹案はなかったが、
資金の調達を私の竹馬の友で、
当時、某金融機関の支店長をしていた
岡本敬行に頼っていた関係で、
しばしば彼に会っていたところ、
彼の部下の米本昇を事務長として推薦され
特別断る理由もないので、これに決定。
ところがしばらくして、
岡本自身が参加したいということになり、
すでに事務長は決まっているので、
事務総長という職名をつくって迎えることになった。
事務総長とは国連みたいで
小さな病院にしては立派すぎるとは思ったが、
この二人のコンビはじつに
気が合ってよくはたらいてくれた。
そして残りは総師長。
かねてから病院の浮沈(ふちん)は
総師長の肩にかかると思っていたので、
この人選にはとくに心を砕いた。
都立駒込病院の同僚のなかから
口説き落とすことにして、
まずは3人の候補を選んだ。
いずれ3人のそれぞれと話をしてみて、
そのなかから一人を選ぼうとしたのである。
ある日、そのうちの一人である
山田幸子(さちこ)と廊下でばったり。
ちょっと話があるのだけれど今夜どう?
あら、なんでしょう、
……いいですよ
ということで病院が引けてから、近くの居酒屋さんに。
当時彼女はICU(集中治療室)勤務。
私の手術をした患者さんは術後かならずICUに入るので、
ここの看護師さんたちとは殊更親しい。
ひと通り話をする。
わかりました、二、三日考えさせてください。
あるいは家族と相談しますからと彼女。
そしてゆっくり1杯というのが私のシナリオだった。
ところが話が済むと、彼女はきっとした面持ちで、
わかりました。お世話になりますと言いながら
頭を下げるではないか。
あわてたのはこちらである。
これで決まりとなると、他の二人には
この話を持ち出すわけにいかないではないか。
地方公務員としての年金の権利を
投げ出して来ようというのだから、
あなたのお葬式はかならず私が出しますよ!
とあらぬことを口走ってしまったくらいだ。
私と歩むことになる、あなたの後半生を
決して後悔させませんというのが真意だったのであるが、
いきなり短絡(たんらく)してしまったのである。
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◎編集後記
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もみの木のリースを作ってきました。
土台を作るのがとても大変でした…(汗)
同じ材料を使っても
作った人によって大きさや雰囲気が
違うそうです。おもしろいですよね。
玄関のドアに飾ったリースを見て
ニヤニヤしています。
ー 三浦ともこ