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FROM 帯津良一

開院するにあたって、
かねてより漢方薬に熱心な医局の後輩にして

高野征夫さんの同級生である小原恵さんに
週1回の外来担当をお願いした。

さらに縁ありて、
これまた漢方薬に造詣(ぞうけい)が深い、

埼玉医科大学放射線科の鈴木健二さんも
パートタイマーの医師として参加してくれた。

私自身はというと、まずは
津村順天堂さんの開く漢方薬の勉強会には
極力参加するようにした。

なかでも思い出深いのは
台湾の張明澄(ちょうめいちょう)先生の講義である。

彼の独特の論理的な解説はいちいち腑に落ちて、
漢方薬に馴染むのに大いに役立った。

しかし、事(こと)がんに対する漢方薬となると
世界は急に狭くなる。

当時の私としては北京で知遇を得た
李岩(りがん)先生しか心当たりがない。

彼をわが病院に招聘(しょうへい)しようと
手続きをするもなかなか実現しない。

ところが、彼が新設成った北京市の
中日友好医院の副院長として栄転するや否や、
やって来るようになった。

1985年のことである。

来日すると、いつも
1カ月ほど滞在して連日の勉強会である。

土曜日と日曜日を除く毎日、
夕方6時から8時まで、

気功道場で先生の講義である。

通訳は戦後中国から引き揚げてきて
近くに住む三木さん。

学ぶは高野副院長、二人の女性薬剤師、
二人の男性鍼灸師に総師長に私という布陣(ふじん)。

李岩先生も勉強好きなら、
学ぶほうも勉強好き。

めったなことでは誰も休まない。

李岩先生は近くのアパートに寝泊まりしていて
食事はすべて病院の食堂。

いつも私の病棟回診や外科診療に同席して
あれこれ指導をしてくれる。

ただ勉強以外はからきしという先生のことだから
土曜日と日曜日は持て余し気味。

日日の生活面は山田総師長がしっかりと
面倒を見てくれるから安心として、

できるだけ彼を外に
連れ出すようにはしていたものである。

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◎編集後記
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子供の学校の音楽発表会に
行ってきました。

人が一生懸命歌う姿に、
(中には年頃なので、ちょっとやる気なく
歌っている子もいますが
そこもまた味わいがあります)

いつも感動してしまいます。

歌っていいなとしみじみ感じました。

―三浦とも子

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